千葉地方裁判所 平成元年(わ)415号 判決 1990年10月15日
主文
被告人は無罪。
理由
第一 本件公訴事実は、「被告人は、平成元年四月一四日午後五時一〇分ころ、千葉県<住所略>の被告人方において、自己の長男であるS(当時六年)を殺害しようと決意し、荷造用ビニール紐を両手に持ち、被告人方居間に座っている同人の背後からその頚部に右ビニール紐を巻き付けてその両端を強く引っ張って締め付け、よって、そのころ同所において同人を頚部圧迫により窒息死させて殺害したものである。」というのである。
<証拠>によれば、被告人が右公訴事実記載の日時、場所で、同記載の方法で右Sを殺害したことはこれを認めることができる。
第二 責任能力に対する判断
一 弁護人は、被告人は、本件犯行当時、妄想性障害の精神病に罹患しており、本件はこれに基づく妄想に直接支配された行為によって引き起こされたものであるから、心神喪失の状態にあったもので責任能力がない旨主張し、検察官は、被告人の病状はそれ程重度ではなく、責任能力はある旨主張するので、以下に検討する。
二 <証拠>によれば、以下の事実が認められる。
1 被告人は、昭和二一年一一月一六日、満期安産で出生し、三歳ころに先天性股間接脱臼の治療を受けた以外はこれといった病気にもかからず、順調に成長し、女子短期大学国文科を卒業後、国立国会図書館の非常勤職員や団体事務員等をし、昭和五六年六月にはAと結婚し、昭和五七年三月に仕事を辞めて専業主婦となり、同年七月九日には長男S(以下「S」という。)を出産するなど平穏無事な家庭生活を送っていた。なお、母子健康手帳には、Sの出産は、骨盤位のため帝王切開で分娩したが、母体の梅毒反応は陰性であり、妊娠出産後の経過は母子ともに順調であると記載されている。
2 被告人は、千葉市の保健婦が指導していた「親子で遊ぶ会」に、一歳六か月のSと参加したが、その際、保健婦から、Sには、落ち着きがなく、言葉の発達の遅滞があり、話をするとき視線を合わそうとせず、呼び掛けても無視するなどの異常があるとの指摘を受けたため、Sが普通の子供と違うのかもしれないと思うようになった。そこで、被告人は、近くのT小児科でSの二歳児検診を受けた際、T医師に右保健婦の指摘を相談し、同医師から紹介を受けて、千葉市療育センターに昭和五九年八月ころから翌六〇年一〇月ころまで治療のため通った。しかし、その効果が見られなかったので、更に、本で読んで知った神奈川県川崎市の聖マリアンナ医科大学の「ことばの治療室」を訪れ、以後、大体月一回の割合でカウンセラーのYのカウンセリングを受けるようになったが、そのころから、被告人は、Sが自閉症ではないかとの疑いを持ち始め、T医師にも相談したりした。
3 被告人は、昭和六三年四月にSを保育所に入園させたが、Sは、保育所で多動のため危険で保母が目を離せない状態であり、家に帰っても食事を取らなかったり、夜泣きをするようになったため、被告人は、約半月でSの通園を断念した。
4 同年七月から八月にかけて、被告人は、「自閉症治癒への道」という自閉症関係の本を購入して読み、Sが自閉症であると考えるようになり、同書の内容を正しく理解せず、しかも、同書の題名のように治癒への希望を抱くのではなく逆に否定的な考えを持ち、同書に「自閉症の子は精神薄弱児施設でゆっくり育てた方がよい。」「一生施設で暮らすのだから税金をかけて教育しても無駄」とあったなどと誤った理解をして、Yカウンセラーのこれまでの助言や指導が間違いであり、これに従ってきた自分のやり方も誤りで取り返しのつかないことをしたと思い悩み、落胆して自殺したいと思うようになった。
5 同年一一月に、翌年度の小学校の入学児童の身体検査があり、Sもこれを受検したが、Sは、その日の夜から三日間、被告人宅の納戸で、「おもちゃの会社のぶんちょう。」などと意味不明のことを大声で叫び、室内を走り回ったり、思い出したように泣き出したりし、また、翌年一月には、アイスクリームを買いに行くと言って自宅を出たまま帰らず、捜索願を出したところ、東京都内で保護されたり、あるいは、その後も自宅の廊下で突然悲鳴をあげたりするなどのことがあり、被告人としては、Sを就学させるのは早いと思い就学を一年遅らせようと思ったが、夫は就学を遅らせる必要はないという意見であり、平成元年一月ころには、被告人はそのことでも思い悩み、YカウンセラーやT医師にSの就学をどうすべきか相談したりした。
6 このころから、被告人には、以前読んだ本の中に自閉症の例の中に分裂病という言葉があったとか、T医師に自閉症のひどいのは分裂病だと言われたとか、前記捜索願を出した際に、担当の警察官にSは自閉症だと説明したのに警察官が書類に勝手に精神不安定だと記載したとか等の、Sの病気に関連したことについて種々誤った記憶と思われるようなことが多くなり、それと共に、Sは自閉症よりもっと重い精神分裂病ではないかと疑い出すなどSの病気を悲観的に考える傾向が強くなってきた。そして、百科事典の精神病関係の項目を読んだりした上、これを正しく理解せず、Sが鼻水を出すこと、目がとろんとしていること、あるいは小さいころよく鼻血を出していたことなどの症状等から、Sは、発病から半年か一年で死亡する先天性梅毒による進行性麻痺に違いないと勝手に思い込むようになった。感染経路としては、夫も自分も梅毒ではないが、Sを出産する際に、医師がゴム手袋を外した時、その手がひどくただれていた記憶があることから、そのこととSとの病気を関連付けて、妊娠中に同医師から自分が感染し、それをSに感染させたに違いないと思い込んだ。
7 そして、被告人は、種々の誤記憶を織り混ぜ、Yカウンセラーに、「Sは教育もしつけもいらない子。」「なんでもしてあげなさい。」などと言われたのは、Sが間もなく死ぬことをYが知っていたからであり、同じくYからSを「だっこしてあげなさい。」と言われたのは、Sの体力がなくなってきたことをYが考えてのことであり、T小児科に行ったとき、看護婦がずらりと並んで見ていたことがあったのは、Sの梅毒の原因が母親である自分からの母子感染であり、そのような症例を看護婦に見学させるためであり、その後、被告人がT医師方にお礼を持って行ったとき、T小児科でいつもは放飼いにされていない犬が放されていたことがあったのは、梅毒患者である自分達を寄せ付けないためであり、Yカウンセラーが、「お母さんかわいそう。」と言ったのは、梅毒である自分達に同情したからだというように、関係者の言動やそれに関する過去の記憶を、事実に反する特別な意味付けをして、すべてSが先天性梅毒による進行性麻痺にかかっていることに関連付けて考えるようになった。
8 被告人は、平成元年三月二日ころ、夫に、Sの病気は先天性梅毒による進行性麻痺に違いないと言い、夫からそんなことはあり得ないと一時間にわたって説得されてもその考えを変えなかった。同月七日、被告人は、「ことばの治療室」に行った際、Yカウンセラーに対し、最初からSが先天性梅毒であることを知っていながら、なぜ幼稚園や保育園に入れてもいいという指導をしたのかと興奮して問い詰めたりした。その後、被告人は、自分が梅毒にかかっているかどうかを知るため、保健所で血液検査を受け、同月二四日には、その検査結果が出て、被告人が梅毒に罹患している事実のないことが判明したが、それでも、被告人は、Sの血液検査をしようとはしないで、Sが梅毒による進行性麻痺であることは間違いないと固く信じ込み、母子感染でなければ、産婦人科で出産時に直接梅毒を感染させられたと考えるようになった。
9 一方、被告人は、同年三月五日ころ、北海道で医師をしている叔父のKに電話して相談し、同医師の紹介で、Yカウンセラーと同じ聖マリアンナ医科大学に勤める従兄弟のR医師に電話し、Yに会って病名を聞いて欲しいなどと依頼した。被告人の記憶によれば、同月二三日ころ、被告人がR医師に電話したとき、被告人が、Sはほんとは先天性梅毒による進行性麻痺で、既に実家の母親にも感染してしまったのではないかと話したところ、同医師は、「あ、これでもうY先生に会える。」と言ったという。その後、被告人は、K医師が同年四月一四日に上京するということを聞いたが、被告人がかねて同医師にSのことを相談していたので、同医師はSのことで急に上京するのだと考えた。
10 Sは、同年四月七日、千葉市内の小学校に入学したが、被告人は、Sに梅毒の症状が現れることや、学校給食などでSの病気が他の子供に移ることを非常に心配した。そして、そのころ新聞に載った看護婦が安楽死させたという記事を読んで、K医師の上京の目的は、Sを安楽死させるためであり、R医師が前記の「これでY先生に会える。」と言ったのは、安楽死の相談のためであり、Yカウンセラー、K医師、R医師が連絡を取り合ってSを安楽死させようとしており、Sが小学校に入学して学校給食が始まると、他の児童に梅毒を移すことになるので、そのためSを安楽死させようとしていると思い込んだ。被告人は、同月一〇日、Yカウンセラーに電話をして学校をやめるための書類を書いてもらおうとしたり、同月一二日、Sが発熱して学校を休んだことから、進行性麻痺が悪化したものと心配し、夜、Yカウンセラーに数回電話をしたりした。そして、翌一三日にはSを連れてT小児科を訪れたが、普段と変わったこともないT医師の態度や診察状況を、日頃とは違う自分に何かを隠している行動だと疑い、Sのカルテが異常に分厚いのは、同医師がYカウンセラーから電話で病状などを聞いて記入したせいだと思い、あるいは普段どおりの診療費の支払いを求められたものであるのに、いつもより請求額がかなり安いと勝手に思い込み、T医師も、K医師によるSの安楽死の件を既に知っていて喜んでいるため特別に安くしていると考えた。被告人は、内密に行われるはずの安楽死があまりにも多くの人に知られ過ぎていると感じてますます不安を募らせた。
11 同年四月一四日昼ころ、被告人は、T医師に電話をかけ、「Sの病名は進行性麻痺ではないか。」と尋ね、同医師から「ただの扁桃腺炎で進行性麻痺のような微候は全くない。」と言われたが、その話を信じようとせず、同医師は、Sの本当の病名を知っていながら、Yカウンセラーから既に連絡が入っているため隠して真実の病名を告げないに違いないと確信した。そして、被告人は、当日が叔父の上京予定日であり、梅毒による進行性麻痺でSの命は長くないし、梅毒にかかった者が身内から出ることは、親族にとっても大変なことであり、叔父であるKにSを安楽死させるわけにもいかないとあれこれ悩み、自分とSの二人が死ねば皆に迷惑をかけなくて済むと思い、Sと心中しようと決意した。心中したあとすぐに身元が分かるようにと自分宛の葉書とスナップ写真を持ち、同年午後四時ころ、Sを連れて外出し、飛び降り自殺をするために付近のマンションの最上階まで行った。同所で、被告人は、Sに「二人で死のう。」と言ったが、Sから「いやだ。お家に帰る。」と言われ、心中するにはSを無理に突き落とすしかなくなったが、それはかわいそうだという気になり、その場は心中を諦めて階段を降りた。その帰り道、Sが、「今日は死なないよ。」と言うので、被告人は、他人に聞かれたら困ると思い、Sの口をつまんだりしながら自宅に帰った。
12 自宅に戻った被告人は、Sに「二人で寝ようか。」と言って布団を敷いたが、Sが寝ないで遊び始めたのを見て、首を締めて殺すことを思いつき、同日午後四時四五分ころ、納戸からビニール紐を取り出して手に隠し持った。しかし、被告人は、Sが鏡台の前に立っていて自分の姿が鏡に映るのでまずいと思って躊躇したりした。同日午後四時五〇分ころ、夫から電話があり、三〇〇〇円の銀行振込を頼まれた。同日午後五時一〇分ころ、被告人は、Sが鏡台脇のカラオケで童謡などを聞き始めたので、今だと思いビニール紐でSの首を締めてSを殺害した。
13 被告人は、S殺害後、Sが失禁しているのに気付き、その服を着替えさせ、血を拭いて、布団の上に寝かせた上、夫宛の遺書を書き、遺書と金の入ったバッグと証券入れを机の上に置いてから外出し、夫から頼まれていた三〇〇〇円の銀行振込を済ませた。その後、飛び降り自殺を図るために付近のマンションの一〇階に上り、通路の手すりを乗り越えて手すり外側の端部分に立ち、飛び下りようとして下を見たりしているところを通報により駆けつけた消防署員に救助された。被告人は、救助されて消防署に連れていかれる際、泣きながら「お父さんに怒られる。捕まっちゃう。」などと繰り返し言っていた。
三 次に、<証拠>によれば、被告人の身体的及び精神的状況について、次のとおり認められる。
1 被告人は、その身体状態の診察、神経学的検査、臨床検査、脳波検査、頭部コンピューター断層撮影等の各結果によれば、身体的には特段の異常は認められない。
2 被告人の知能指数は、IQ九九で普通域である。犯行時から鑑定時を通じ、知能障害や記銘力障害はなく、意識は清明であり、性格の特徴として、対人的過敏性と過度の防衛的・警戒的態度、一部には母子一体感の強さ、被害観念や投影を伴う典型的な妄想的傾向が見られる。
3 被告人の精神的症状の特徴としては、その中核は妄想である。被告人は、昭和六三年秋ころから、被害者の就学問題等で悩んで情緒不安定になっているが、そのころが妄想形成の前駆期と考えられる。そして、被告人には、平成元年一月末ころから、YカウンセラーやT医師の特別の意味をもたない些細な言動、周囲の偶然の出来事、それにまつわるかなり誤りの混在した過去の記憶の断片、読んだ書物や新聞記事の一部あるいは被害者の身体の状態に対する観察等を、事実に反して主観的に解釈して関係付け、被告人の信ずる一定の方向に意味付け、被害者を「自閉症」より重い「先天性梅毒による進行性麻痺」に違いないと確信するなどの妄想着想、妄想知覚、妄想追想、関係妄想、心気妄想等の症状が見られる。同年三月ころには、被告人は、Sのことで不安にかられて周囲にいろいろ相談し、夫やT医師等からSのことは被告人の思い過ごしで梅毒には感染していないと説得され、また、血液検査の結果、被告人自身の梅毒罹患の事実が否定されたにもかかわらず、かたくなにSが梅毒による進行性麻痺だとの確信を訂正していないが、それは妄想の程度が極めて強固であったことを裏付けており、妄想の訂正不能性を示している。同年四月、叔父の上京予定のことを知ったことや、新聞の安楽死の記事を見たことがきっかけで、Yカウンセラーや叔父のK医師らが連絡を取り合って被害者を安楽死させようとしていると確信しているが、それは被害妄想及び妄想の発展・体系化の症状であると考えられる。そして、被告人は、周囲はもはやがんじがらめで被害者の安楽死は逃れられない状況になったと思い詰め、誰にも迷惑をかけることなく事態を終わらせるために親子心中を思いついており、右自殺企図は、右の妄想に深く基づくものと考えられる。
被告人の右妄想は、被害者の血液の医学的検査をすれば明白になる事実についてこれらの検査を全くしようとしないばかりか、夫や医師などの関係者の説得をかたくなに拒み、自己の血液に関する科学的検査結果も考慮しようとしない常識に反した非科学的な確固とした訂正不能な強固なものであり、犯行当時はもちろん、本件犯行後の捜査段階を通じ、あるいはその後の公判段階、鑑定時に至ってもなお妄想が継続している事実に照らしても、その程度は重度と認められる。
なお、被告人には、右妄想以外の幻覚、幻声、激しい興奮や混迷、感情鈍麻などの精神分裂病などにおいてよく見られる異常体験はほとんど認められず、日常生活の水準低下等もなく、分裂病性の人格解体の兆しは認められないことから、精神分裂病は否定していいと考えられる。
4 右の診断結果から、竹内鑑定人は、被告人は、本件犯行当時、DSM―Ⅲ―R(アメリカ精神医学会の診断統計マニュアル)による妄想性障害(妄想を唯一症状とする精神症で、従来の慣用的分類によればパラフレニア―妄想反応―に近いものと考えられる。)といわれる精神障害に罹患しており、その発病時期は平成元年一月ころと考えられ、その病状の程度はかなり重度で、物事の是非善悪を判断する能力やこれに従って行為する能力が失われていた状態にあったと鑑定している。
なお、同鑑定人は、被告人には、前記妄想に基づく以外の生活部面や行為等においては、通常人と変わりなく何ら異常な面が認められないが、それは右病気の特徴であって、そのことは何ら右鑑定の結果を左右するものではないとしている。
四 右認定の事実及び鑑定の結果を前提として、被告人の本件犯行当時の責任能力について考察する。
被告人は、Sの病状につき、当初は、自閉症ではないかと考えていたが、平成元年一月ころからは、先天性梅毒による進行性麻痺であるとの確信を抱くに至っている。しかしながら、被告人が右のような確信を抱くに至った根拠は、前示のとおり、Sの鼻水、とろんとした目付きや過去の鼻出血等の症状及び百科事典の記述等であるが、竹内鑑定によれば、右の症状から先天性梅毒による進行性麻痺の診断が下せるものではなく、むしろ、右百科事典の記述を正しく理解すれば、逆にこれが否定されるものであって、その可能性は医学常識上ほとんどあり得ないものであることが認められ、また、右の医学的専門知識がなくても血液検査をすれば梅毒感染の有無が判明することは一般常識であり、被告人もそのことは十分知っていたからこそ、自己の血液検査をわざわざ保健所まで行って受けているのに、Sについては、これを全く受けさせようとせず、ただその感染の事実のみを妄信していることが認められ、これは竹内鑑定の指摘する妄想であることは明らかであると認められる。そして、梅毒の感染原因についても、当初は、被告人の帝王切開手術をした医師の手がひどくただれていたことに関連付けて、Sを出産した際、医師から自分が感染し、それを母子感染させたと考え、その後、夫や医師らの説得を受け、あるいは血液検査の結果自己が梅毒に罹患していないと分かっても、母子感染でなければ出産時に直接Sが感染したとの考えに変わっただけで、Sが梅毒に罹患しているという考え自体は何ら訂正されなかったものであり、このことは被告人の妄想の訂正不能性を示しており、その考えに従って、YカウンセラーやT医師の行動を意味付けて理解し、更には、新聞に看護婦による安楽死の記事があったことや叔父の上京などを関連づけて、Yカウンセラー、T医師、K医師、R医師が示し合わせて、K医師によりSが安楽死させられるとの考えを抱くに至っており、妄想を発展・体系化させている。
右検討したところによれば、本件犯行当時、被告人には、竹内鑑定で指摘するSが梅毒により進行性麻痺に罹患していて、関係者によって安楽死させられるという強固な妄想があったことが認められ、同鑑定にいう妄想性障害といわれる精神障害に罹患していたことが認められる。
ところで、従来の慣用的分類によるパラフレニアといわれる精神障害の責任能力をどう解するかについては種々の見解があるが、当裁判所は、右精神障害が全人的な人格の解体がなく、妄想が中核になるものであるから、その妄想に基づく行為以外の行為については通常これを肯定し、妄想に基づく行為については、その病状の程度、犯行の動機、態様、状況、犯行に至る経過等の諸事情を総合してその有無を判断すべきであるとする見解を正当と考える。
そこで、本件についてこれを検討するに、被告人は、前記のような妄想を拡大発展させる中で、身内から梅毒のものが出ると親族も迷惑する、学校で給食が始まれば他の児童にも感染させてしまう、Sは長くは生きられない、叔父であるK医師に安楽死させるわけにはいかないとの動機から、Sと心中することを決意し、本件犯行に及んだものと認められる。本件犯行自体は、自己に対する攻撃の幻覚を抱き、その幻覚の攻撃から身を守るために反撃に及んだというような症例とは異なり、いわゆる妄想に直接的に支配された行為とはいえない。しかし、右妄想は、その動機の形成過程に密接不可分に関わっており、しかも、その妄想自体産院の医者からの感染及びそれを原因として被害者が医師により安楽死させられるという突飛なものであり、前示のとおり、素人的にも医学常識に反する根拠に始まり、これを訂正するに足りる客観的資料が与えられ、あらゆる説得手段がとられたにもかかわらず、微動だにしない強固なものであり、被告人のその点に関する思考には通常人の了解できないものが存在するというべきである。したがって、右のような被告人の妄想は、単にS殺害の動機形成について係わっているというに止まらず、殺害行為自体をも強く支配した可能性が高いというべきである。
確かに、右の本件犯行に至る動機は、Sが梅毒による進行性麻痺にかかり、叔父であるK医師に安楽死させられるということを前提にして考えれば、動機として一応了解することは可能である。また、被告人は、前記のとおり、Sと一緒に投身自殺すべく付近のマンションの最上階まで行った際、Sからいやだと言われるや、無理に突き落してはかわいそうだと思い、心中を諦めており、その帰り道、Sが、「今日は死なないよ。」と言うので、他人に聞かれたら困ると思い、Sの口をつまんだりしながら被告人方に帰っており、自殺しようとして救助された際にも「お父さんに怒られる。捕まっちゃう。」と繰り返し言っていたことなどが認められ、これらの事実は、被告人に自己の行為の是非善悪を判断できる能力があったのではないかと推測させる。更に、本件犯行及びその前後の被告人の行動は、鏡に自分の姿が映らないように機会を窺ったり、遺書を書いて貴重品と一緒において置くなどしており、極めて冷静である。しかしながら、動機の点は、それ自体としては了解可能であっても、前提となる妄想を含めて考えれば、了解不能というべきであり、この動機は妄想を前提として初めて発生しうるものであることを考えるならば、妄想と切り離して、動機それ自体の了解可能性を云々しても意味がないというべきである。また、物事の是非善悪を判断できたかという点も、竹内鑑定で指摘するように、人間の心理は、正常心理と異常心理との緊張の中にあること、被告人が前述のような妄想を発展させた経過の中で、もう逃げられないと思って心中を選択したものであることを前提とすれば、一時的な憐憫・悔悟の念の存在を持って、被告人に是非善悪の弁識能力ありと判断すべきではないというべきである。更に、被告人の行為の冷静さという点も、妄想性障害が、妄想のみを主症状とする精神病であって、全人格的な崩壊は来たさず、冷静な行動を取り得るものであることを考えれば、被告人の行為が冷静であったことのみをもって、被告人に是非善悪の弁識能力ありとなすべきでもない。
してみれば、被告人は、Sを殺害する際、これが殺人罪という違法な行為であることを一応認識していたものではあるが、右のような妄想と関連付ければ、動機は極めて理解し難い不合理なものであり、殺人行為自体についての意識及びその悔悟の念も型式的なものに過ぎず、全体として妄想という精神障害により物事の是非善悪を弁識する能力及びこれに従って行動する能力を欠いていたと認めるのが相当である。
第三 結論
結局、本件は、被告人が精神の障害により物事の是非善悪を弁識し、その弁識に従って行動する能力を欠く状態でなされた行為であるから、被告人は、本件犯行当時、刑法三九条一項にいう心神喪失の状態にあったと認めるのが相当であり、被告人に対する本件公訴事実は、心神喪失者の行為として罪とならないから、刑事訴訟法三三六条前段により被告人に対し無罪の言渡しをする。
よって、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官上原吉勝 裁判官遠藤和正 裁判官加藤学)